2010-04-08

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精神障害

卒業発表

今日、今週いっぱいで卒業されるリワーク生の卒業発表がありました。 今週は、たった一人。 二十代前半の、若い女性です。 その言葉、激しく、胸を打ちました。 その仕打ち、その状況、聞いているだけで、私の目には大粒の涙が浮かんではきえ、恥ずかしいのでした。 組織が個人を追い詰めるさまが、まるでドキュメンタリーのように、私に迫るのです。 彼女が若いからといって、ほろ苦い若さの思い出などと、言いますまい。 若いか老けているかは、この際、何の関係もありません。 一個のたましいが、組織の理不尽によってコテンパンに叩き潰されたのです。 しかし幸いなことに、そのたましいは、今救われようとしています。今復活しようとしています。 私たちリワーク生は、彼女の今後を見守る他、どうしようもありません。 しかし、同じ境遇に身を置いた一人として、彼女のこれからが、幸せで、楽しみ多いものであることを願わずにはいられません。
文学

今年は花見日和に恵まれないまま、早くも桜は狂ったように散っています。 わが国びとがこの花を他の花と同じように観られないのは、この花が日本人の死生観や美意識を象徴的に表しているからでありましょう。 私もまた、この国に生まれ育った一人として、桜に特別の感慨をおぼえるのは、いたしかたないことです。 さまざまの 事思ひ出す 桜かな 松尾芭蕉の句です。 桜の時期は、年度が改まる頃でもあります。それだけにいっそう、人々は卒業や入学、就職や転居など、人生の節目の出来事を思い出すことでしょう。 そしてなぜか、この花だけは、咲くさまを観るにつけ、来年もまた観ることができるだろうか、という不安を感じさせます。季節ごとに咲く花はいくらでもあるのに、桜だけは、おのれの将来を、暗示させるのです。 それだけに、私はこの花を愛しながら、心のどこかで嫌ってもきました。 多分、この花だけが持つある種の激しさが、私の平穏を奪うのでしょう。
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