文学

スポンサーリンク
文学

桜吹雪に牡丹雪

珍しく、桜も葉桜になろうという4月の今日、雪が降りました。 こんなこともあるのですねぇ。 雪中梅図というのは聞いたことがありますが、雪中桜図というのは聞いたことがありません。 まるで起きてはならない現象が起きたようで、職場の窓から眺める外の風景は、美しくも禍々しくも感じられる、幻想的なものです。 雪と見て かげに桜の 乱るれば 花の笠着る 春の夜の月 「山家集」にみられる西行法師の和歌です。  雪かと思ったら散る桜であった、その向こうに月が見える、というほどの意かと思います。山家集 (岩波文庫 黄 23-1)佐佐木 信綱岩波書店  誠に美しく幻想的な和歌ですが、雪かと思うほど寒いにせよ、実際に降ってはいないわけです。 ところが今日は散る桜と本物の雪が一緒に見られるという珍しい事態が起きており、これは目に焼き付けなければなりませんね。 そのせいか今日はなんとなく気分が浮かれています。 午前中、そわそわして窓の外ばかり見ていました。 積もるほど降ることはないでしょうから、帰りの足を心配することもありません。 むしろ少しでも長く、この牡丹雪と桜吹雪の共演を眺めていたいと思わずにはいられません...
文学

邪悪

魑魅魍魎の跋扈せし現世に生を受け四十有余年、我もまた同類なりと自覚す。 我が隠したる悪、魑魅魍魎に倍すればなり。 魑魅魍魎の類、ただおのが欲を満たさむと策をめぐらすのみにて、そは真の悪に非ず。 我、堕天使ルシファーをも戦慄せしむべき邪悪を隠しいたり。 ルシファー、ただ神との戦に敗れしのみにて、神敗れたれば、堕天使正義たるべし。 而して我、天使、堕天使もろともに滅ぼし、現世の在り様を暗転せしめむと欲す。 暗転したる後、起こるべき事態知るべからず。 ヒトラー、ナポレオン、ポル・ポト、稀代の悪人なりと雖も、我が邪悪に勝らむや。 我が邪悪の元は我が誕生したるを所以とす。 今に至るも生を全うし得るは、悪の悪、闇の闇が我を守護せしめたればなり。 知らず、悪の何たるか。 ただ、人、我を邪悪と呼ぶこと多ければ、我、邪悪の存在なりと自覚したり。 しかれども我、この世の法を破りたることなし。 日々職務に精励せり。 なにゆえ我、邪悪なりしか。 そは、我が魂の運動、邪悪を志向したればなり。 そも、邪悪とは何ぞ。 魂、この世の暗転を望むの強きをもって、邪悪と呼ぶべきか。 あるいは社会を呪詛したるをもって邪悪と呼...
文学

少年の暴行死

13歳の少年が河原で殺害されていた事件の容疑者とおぼしき17~18歳の少年3名が捕まったそうですね。 漏れ伝え聞くところでは、被害者の少年は不良グループのパシリのような役割だったところ、ささいな理由で暴行を受けるようになり、グループから抜けたがってさらなる暴行を受け、故意か否かはともかく、殺害に至ったようです。 故意か過失か未必の故意か、そこら辺は裁判で重要な要素になるのでしょうが、素人目から見ると、そもそも遺体が全裸だったという時点で、はなから殺す気だったとしか思えません。 実話をもとに残忍な殺人犯を描いた「凶悪」では、いともたやすく人を殺す、「先生」と呼ばれる人物が登場します。凶悪 山田孝之,ピエール瀧,リリー・フランキー,池脇千鶴,白川和子Happinet(SB)(D)凶悪 山田孝之,ピエール瀧,リリー・フランキー,池脇千鶴,白川和子Happinet(SB)(D)凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)「新潮45」編集部新潮社 何が「先生」だ、という怒りが湧いてくるような映画でしたが、それも実話だと思えばこそ。 虚構だと分っていれば物語として楽しめるでしょう。 日頃残酷な物語を楽しむ...
文学

美の仙人

職場の庭に植えられた紅梅が、見事に咲いているのに気付きました。 満開になるまで気付かないとは、我ながら迂闊です。 平安期に桜が好まれるようになり、江戸時代以降は花見といえば桜と定まりましたが、古く、奈良時代頃には、花といえば梅を指したと伝えられるほど、梅はわが国の人々に愛好されてきました。 早春、凛列たる空気の中、可憐に咲く様が人々の心をとらえたのでしょう。 また、桜よりもはるかに長く楽しめる点もよろしかろうと思います。 桜には狂気が似合うのと対照的に、梅には落ち着いた風情があります。 桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿、という言葉があるほど、梅は剪定に強く、生命力の強さを象徴してもいるのでしょう。 桜が咲くと、私の心はざわつきますが、梅の場合そういうことはありません。 梅を詠った詩歌は数知れませんが、私は何度かこのブログで紹介した与謝蕪村の句をもって嚆矢とします。 白梅(しらうめ)に 明くる夜ばかりと なりにけり というものです。 臨終の床にあって、あの世は愛する白梅が毎朝咲く夢のような世界なのだろう、と詠んでいるわけです。 桃源郷を端的に表すのに白梅を使うあたり、その心性がよくわかります。 ...
文学

妖かし

春は来ぬ。 空気凛冽なれども、春の気配濃厚たり。 我、この気配に接し、心躍ることなし。 ただ、春の気配を怖れるのみ。 そは、春の魔にして、人をして狂わせ、憂愁に沈めるのみ。 春は狂気を孕み、我、その瘴気にあてられざる能わず。 古人、多く春を怖れるあり。   春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる かくのごとき和歌、生まれざるを得ざる所以のものは、ひとえに春を怖れたるなり。 わけても春の宵闇に隠れいたるは何者か。 化け物か、妖気孕む者か。 我、定かならずといえど、そを感じること甚だし。 妖気に接し、我、不思議の心地して、我が身が変貌すを感得したり。 何者に変貌したるか。 そを表す言葉を知らず。 ただ妖かしの者に近づきたるを覚えるのみ。 我、もはや人たることに耐えざるや。 いっそこの世ならぬ者に変じ、春の瘴気を生み出す元となりたるか。 我が変貌したる姿、ザムザのごとき醜い虫に非ず。 毒を隠し持つ、しかれども天女のごとき美しき魔物に他ならず。 ザムザのごとく野垂れ死にの憂き目にあうこともなし。 春来たりなば宵闇に紛れ、瘴気を吐かむと欲す。 瘴気は毒に変じ、春の宵を包みこむ...
文学

悪を描く

坂東三津五郎が59歳の若さで帰らぬ人となってしまいました。 たしか中村勘三郎もそのくらいの年齢で亡くなったと記憶しています。 当代の人気役者だけに残念ですねぇ。 私は一時期歌舞伎に凝り、わけても尾上菊五郎が贔屓でした。 顔よし、声よし、姿よし、と謳われていましたが、わりと小柄でしたね。 しかし江戸っ子の典型的なスタイルは小柄でやせ形ですから、それもまた売りだったのだろうと思います。 菊五郎の「弁天小僧」は私が最も好む演目で、お嬢様に化けて呉服屋に入り、イチャモンをつけて金をゆすり取ろうとしたところ、男とばれて、急に大きな伸びをし、着物を脱いで見得を切る場面は歌舞伎屈指の見せ場でしょう。 歌舞伎の本質は人間だれもが持つ悪を描くことにあろうかと思います。 善人だったやつがちょっとしたきっかけで悪に落ちたり、あるいは信頼しあった義兄弟を裏切ったり。悪への招待状―幕末・黙阿弥歌舞伎の愉しみ (集英社新書)小林 恭二集英社 それを流麗で耳心地の良い江戸弁でやるのだからたまりません。 坂東三津五郎は端正な芸風で知られ、私はもう少し崩れているほうがお好みですが、現代劇をも器用にこなす、役者以外の仕事...
文学

遊園地

色川武大の短編に、「少女たち」という佳品があります。 「離婚」という短編集で読むことができます。離婚色川 武大文藝春秋 この小説では、訳ありの少女たちと共同生活を送る男が描かれますが、共同生活は終りを告げることになります。 それを惜しむ少女たちに、男は一言、「もう遊園地は終り」と宣言します。 少女たちとの幻想的とも言える現実離れした生活とその終りを描いて、少女たちの成長の物語とも、男の孤独を表す物語とも読める、切なくも美しい作品でした。 今夜、私は日本橋人形町の懐石の店で、15年来の付き合いになる女友達2人と一杯やる予定になっています。 一応、遅い新年会ということで。 今思えば、15年前、私が激務を強いられる職場で耐えられたのは、この2人を始めとして、多くの気の合う同僚に恵まれたからだろうと思っています。 激務の合間に飲みに行ったりカラオケに行ったり。 私は行きませんでしたが、スキーなんかにもグループで行っていたようです。 地獄の中の小さな遊園地のようでした。 1人は都内に1LDKのマンションを購入して一人暮らし。 もう1人は長いこと内縁関係にある男と暮らし、未だに籍を入れようとしませ...
文学

桜の樹の下

昨日、今日と、馬鹿に暖かい日が続きます。 私が執務する部屋は西陽があたるので、午後は暖房いらずです。 こんな風に、寒い日があったかと思うと暖かい日が訪れて、少しずつ、春になっていくのですね。 今年は梅が遅いようで、まだ咲きませんが、この調子なら、梅ももうじきでしょう。 わが国では季節感を大切にする文化が育まれ、手紙では必ず時候の挨拶を文頭に置きますし、女性の着物などでは季節を表す柄が入っている場合、その季節にしか着用することができません。 俳句では自由律でないかぎり季語を入れるのが約束になっていますね。 四季の変化が劇的であればこそ、このような文化が生まれたのでしょう。 北国の人はまた異なるのでしょうが、ひと冬中ほとんど晴れている太平洋側で生まれ育った私には、春は待ち遠しいようで、どこか寂しい季節です。 春の愁いについては、このブログでもたびたび指摘してきました。 その愁いがどこから来るのかは分りません。 しかし例えば、桜の樹の下には死体が埋まっている、と喝破した梶井基次郎の「櫻の樹の下には」のように、美の裏には不気味な死、穢れとしての死が存在するという予感を、多くの日本人が共有し、そ...
文学

大人の絵本「図書館奇譚」

今日は昨日とは打って変わって弱い雨が降りました。 私は雨に閉じ込められて、絵本を楽しみました。 村上春樹の小説にドイツ人の画家が幻想的な挿絵を描いた、豪華で美しい絵本「図書館奇譚」です。 オスマン・トルコの収税政策について知りたくなった少年が、行き着けの図書館を訪れます。 レファレンスで本を調べると、地下に行くよう司書に指示されます。 100回以上通って、初めてその図書館に地下があることを知ります。 地下では気が短い老人が本を探してくれ、迷路のような複雑な道を通って、閲覧室に案内されます。 しかし、着いたところは監獄で、少年は足に鉄球をつけられ、収監されてしまうのです。 何が起きているのか分からない少年。 少年の世話をするのは、羊男と口が聞けない美少女。 2人は老人に支配されています。 老人の目的は、少年に本を読ませて知識を与え、しかる後少年の脳みそを吸うこと。 知識が詰まった脳はじつに美味なのだそうです。 脳みそを吸われると、人は悩みの無い、夢のような世界でぼんやり暮らすことになるというのです。 新月の晩、少年は羊男と美少女とともに、脱出を試みるのです。 奇妙で幻想的で読みやすい小説...
文学

張りぼての城

天気予報では、首都圏は大雪だと騒いでいましたが、千葉市周辺はただの雨です。 千葉県北西部には大雪警報が出ていますが、千葉市も大きくくくれば北西部だと思いますが、いったいどこに雪が降っているのでしょうねぇ。 不思議です。 まぁ、降らないと言って降るより、降るぞ降るぞと脅しておいて降らないほうが気分的にはよろしいようです。 去年はひどく降りましたからねぇ。 実際の雪は、とくに出勤しなければならないサラリーマンにとって、なかなか恨めしいものですが、観念上の雪となるとまた趣を異にします。 例えば、私が敬愛してやまない若山牧水のこんな歌。 おとろへし わが神経に うちひびき ゆふべしらじら 雪ふりいでぬ 当時流行りの神経衰弱を患っていたのでしょうか、あるいはまた、純粋に芸術上の問題で憂愁に沈んでいたのでしょうか。   雪が衰えた神経にさわるというのは、おそらく精神上のことであろうと思います。 そう思うと、辛い雪が歌人を責めているというより、歌人はどこか心地よいメランコリーに浸っているようにも感じられます。 ひとしきり あはく雪ふり 月照りぬ 水のほとりの 落葉の木立  こちらは先ほどの歌と比べて...
文学

春を待つ

今日は馬鹿に寒いですね。 寒さは今日あたりが底でしょうか。 明日は雪になるかもしれないと、天気予報では言っていました。 去年は雪でひどい目にあいました。 首都圏は極端に雪に弱く、すぐに電車は止まるし、タクシーは事故を恐れてか、休むドライバーが多いように感じます。 稼ぎ時だと思いますがねぇ。 私は冬タイヤもチェーンも持っていないので、雪が降ったら公共の交通機関に頼らざるを得ず、それが結構なストレスです。 去年、ごつい長靴を買ったので、電車が動いてさえいればとくだん問題はありません。 去年は履物が悪く、何度もこけました。 寒さが底を迎えれば、もう春はすぐ。 私は春愁の気にあてられて、春には憂鬱に沈むことが多いですが、さすがにこう寒いと春が待ち遠しく感じられます。 啓蟄や 日はふりそそぐ 矢のごとく 高浜虚子の句です。 啓蟄は例年3月初旬。 それまではまだ一か月以上ありますが、降り注ぐ日を待ちわびながら、日々の雑事をこなしていきたいと思っています。虚子五句集 (上) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店虚子五句集 (下) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店
文学

伝染(うつ)る

私の職場、インフルエンザが猛威を奮っています。 20人ほどの小さな課で、3人が罹患してすでに治りましたが、今日2名から電話があり、罹患したそうです。 すると20分の5ということになります。 すいぶん多いですね。 幸い、私はインフルエンザに罹患していません。 去年は発症してえらい目にあいました。 50キロしかなかった体重が47キロまで落ちましたし。 今は少し増えて、50キロから52キロの間をうろうろしています。 お年寄りや子供でないかぎり、通常、インフルエンザで死に至ることはありません。 薬を飲まなくても、かなりしんどい思いはしますが、大抵は自然に治るようです。 ただ、普通の風邪よりもはるかに高い熱が出るし、全身の倦怠感、喉や鼻の痛みが辛いので、その辛さと感染力とが、人をしてかの病を怖れさせているように思います。 そういえば去年、インフルエンザで外出禁止になっているのに、懸案の仕事があるとかで出勤し、「早く帰れ」と言われ、「私のは犬型インフルエンザだから人にはうつりません」と笑えない冗談を言い、「お前を心配して言ってるんじゃない。ほかの職員のためだ」と上司に叱られている間抜けなやつがいま...
文学

藪入り

江戸時代、藪入りという習慣があったそうです。 3年間奉公すると、年に2度、3日程度実家に帰れるという嬉しい習慣です。 通常、1月16日と7月16日が藪入りとされていたそうです。 つらい奉公に耐える子供にとっても、迎える親にとっても待ちに待った日でしょう。 それを思えば、週休2日、年休も20日あって、祝日にも休める現代のサラリーマンは恵まれています。 しかし、別れはすぐにやってきます。 藪入りや 犬も見送る かすむまで  こんな川柳が残っているほど、藪入りの終わりは切ないものだったようです。 しかし、奉公先で経験を積み、成長した子供は親許で過ごすのが退屈だった場合もあるらしく、友人と遊んでまわっていたという話も伝え聞きます。 藪入りの 二日は顔を よそに置き そんな奉公人の様子を表した川柳です。 お年頃の奉公人には、親許は堅苦しかったのかもしれませんね。 今も中学生くらいになると親が疎ましく感じるのがむしろ普通ですから。 江戸時代の奉公人やその親の切ない願いを乗せた藪入り。 多くの落語の題材にもなっています。 私たち現代のサラリーマンは、古人の苦労を偲び、あまたの労働運動などに身を投じた...
文学

今日は冬至ですね。 一年で最も日が短い日。 逆に言えば、明日から少しづつお日様が長く拝めるようになるというわけで、それは嬉しいですねぇ。 でも本当に寒いのは年が明けてから。 1月・2月は首都圏でも尋常ならざる寒さになります。 それなのに、正月を新春と言うのはおかしなことです。 旧暦と新暦ではざっくり一か月半程度ずれています。 すると旧暦の正月は2月の後半になるわけで、その頃なら気温は低いながらも陽射しが強くなり始め、新春というのもうなづけます。 それは大寒にしても立春にしてもみなそうです。 石原慎太郎はかねてから、旧暦の日付に合うように新暦の日付を読み替え、例えば旧正月を新春と呼ぶなど、季節の実感に合った暦に直すべきだと主張しています。 全くそのとおりだと思います。 そうでなければ、季節感を大切にしてきたわが国の伝統文化が、おかしなことになってしまいます。 何も旧暦に戻せと言うつもりはありません。 グローバル化が進んだ世界をわが国も生きているわけですから、そんな時代に逆行するようなことが出来ようはずもありませんし。 ただ二十四節季などの暦を、日付の字面に捉われることなく、本来の日付に合...
文学

寒さ早かり

今日は冷たい雨が降っています。 そのせいでしょうか、今日はなんとなくだるい一日でした。 こんな日は、仕事のペースを落としてやり過ごすほかなく、なんとも冴えない感じです。 いつも元気で、仕事は全力投球というのが理想ですが、そうもいかないのが生身の生き物である私たちの宿命と言えましょう。 体のバイオリズムというのは不思議なもので、しっかり食って、たっぷり眠っても、駄目な時は駄目です。 昔のお百姓さんは大変だったでしょうね。 少々だるくても、腰を曲げて鍬をふるったり、田植えや稲刈りをしなければならなかったのですから。 冬枯の 野に向く窓や 夕ぐれの 寒さ早かり 日は照しつつ 島木赤彦の歌です。赤彦歌集 (岩波文庫)島木 赤彦,斎藤 茂吉,久保田 不二子岩波書店 今日は日は照っていませんが、夕暮れの寒さはいかにも早いようで、大儀な体に堪えます。 今宵は熱燗はほどほどに、早寝するにかぎるようです。にほんブログ村本・書籍 ブログランキングへ
スポンサーリンク