文学

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レンタル彼氏

世の中には不思議な職業があるものですねぇ。 昨日、夕方のニュース・ショーを見ていたら、近頃、レンタル彼氏なる商売が繁盛していることを知りました。 女性が若いイケメンとご清潔なデートを楽しむためにお金を払う、というシステムのようです。 主に20代前半の男性とのデートを、20代から50代の幅広い層の女性が利用しているとか。 冷え切った夫婦関係に不満を持つ主婦、夫の浮気が原因で離婚したシングル・マザー、若くして管理職となって年上の部下との関係性に苦しむ独身女性などなど。 中には男性と話をするのが怖いのでそれを克服したい、という切実な悩みを抱えた女性もいるようです。 レンタル彼氏に採用されるのは、100人中3人か4人という狭き門。  採用の条件は、ホスト経験が無いこと、清潔感があること、聞き上手であること、気配りが細やかなこと、そしてもちろん、若くてイケメンであること、だそうです。ホスト経験が無い、という条件が、主に中高年女性の性欲を満たすイメージがある出張ホストと異なる点でしょうねぇ。 面白いのはホスト経験があってはいけないことですかねぇ。 普通のデートのような楽しさを求める女性には、素人っ...
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寒露

今日は二十四節季の17番目、寒露ですね。 「暦便覧」では、陰寒の気に合つて露結び凝らんとすれば也と説明しいています。 また、他の辞書では、雁などの冬の渡り鳥が渡ってきて、蟋蟀が鳴きやむ頃、とも。 ひらたく言えば、秋が深まり、そろそろ冬が近付く頃ということでしょうが、毎度のことながら、旧暦の暦を新暦に合わせることなく、日付けをそのままにしているのは奇妙な感じがして仕方ありません。 新暦と二十四節季が合うようにしないと、二十四節季なんて、観念上の遊びに堕してしまいます。 新室に 歌よみをれば 棟近く 雁がね啼きて 茶は冷えにけり  正岡子規の和歌です。 ちょうど寒露の頃を詠んだものと思われます。 茶は冷えにけり、というのが、いかにも冬の到来を実感させますねぇ。子規歌集 (岩波文庫)土屋 文明岩波書店 しかし、今日の首都圏はかなり気温が上がりそうです。 多分25度は超えるでしょう。 実感としては、まだ初秋の気分です。 唯一、日が短くなったことが、秋を感じさせます。 秋から冬にかけて、なんとなく気分が沈む季節。 しかも年度末に向かって仕事量が増えて行きます。 ここは抗うつ薬を頼りに、出勤を続け...
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スーパー能「世阿弥」

今日はNHKで変わった能を観ました。 スーパー能「世阿弥」です。 梅原猛が書き下ろした全編現代語の能で、地謡や太鼓や鼓は能舞台に上がらず、オペラのオーケストラのように一段下に陣取っていました。 さらに、通常の能では照明を変化させることはありませんが、暗くしてみたり、青白くしてみたり、誠に奇異な能でした。 内容は、観世流の創設者にして能の大成者、世阿弥とその妻、さらには息子との情愛を描いたもので、現代語だけに分かりやすいものでしたが、どうしても能らしい幽玄の美のようなものが感じられず、中途半端な印象を受けました。 時の権力者、足利将軍に疎まれた世阿弥親子。 世阿弥の子、元雅は足利将軍が放った刺客に殺されてしまいます。 観世流が途絶えてしまう、と嘆き悲しんだ世阿弥は妻と心中することを決意しますが、そこに元雅の亡霊が現れて、自分は観世流を守るために死んだのだ、足利将軍の怒りはおさまり、まさか能の大成者である世阿弥まで殺害することはないでしょうから、どうか父上は長生きして観世流を復興させてほしい、と願い、去って行きます。 その噂を聞いた金春流など、他の流派の能楽師が世阿弥を訪ね、元雅から能の秘...
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内向の世代の終わり

文芸評論家の秋山駿先生の訃報に接しました。  83歳。 いわゆる内向の世代と呼ばれる作家や作品を肯定的に捉えた人でした。 内向の世代とは、全共闘運動がほぼ終焉した1970年代前半に生まれた文学上の流行で、全共闘の失敗からか、個人の内面を深く抉ることを旨とした文芸上の思潮です。 元々は文芸評論家の小田切秀雄が、それまでわが国で主流であった左翼的で元気一杯の文芸運動が、挫折感からか、個人の内面を描くしみったれたものに堕してしまった、という否定的な意味で名付けたものです。 それを肯定的に捉えたのが、秋山駿先生や柄谷行人でしたね。 私は中高生の頃、、古井由吉、後藤明生、日野啓三、黒井千次、高井有一ら、内向の世代と呼ばれる人々の作品群にのめり込んだことがあります。 なぜかと言えば、あまり面白くは無いものの、何か、深い意味があるのではないかと感じさせる雰囲気を持っていたからです。 しかし、大学に進んで、私はそれら作品群から、急速に興味を失っていきました。 要するに、文学作品というものが根源的に持っていなければならないエンターテイメント性を無視し、まるでオナニストが自慰によって垂れ流した精液を見るよ...
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秋の夜の酒

今週は月曜日が秋分の日でお休みだったせいか、短く感じました。 それでも、金曜日の夜飲む酒はひときわ旨いですねぇ。 秋から冬にかけて、酒の味が一段上がるように感じるのは不思議なことです。 そうであってみれば、ロシアなどの寒い国でアルコール摂取量が多く、インドや東南アジアなどでは低いというのもうなづけます。 憂あり 新酒の酔に 託すべく ある時は 新酒に酔て 悔多き いずれも夏目漱石の句です。 新酒とは、秋に新しい酒が出来たことから、秋の季語とされています。 今で言えばボジョレー・ヌーボーみたいな感じでしょうか。 夏目漱石と言う人、よほど愁いを帯びていたらしく、句をよくしましたが、明るい句とてありません。漱石俳句集 (岩波文庫)坪内 稔典岩波書店 一方、難解で幻想的な長編小説を多く残した小説家、石川淳も句を残しています。 鳴る音に まず心澄む 新酒かな こちらは憂愁の気配は感じられず、純粋に新酒を楽しもうと言うウキウキ感が感じられて、微笑ましく思います。 石川淳の小説には感じられない、素直さですね。 案外常識的な人だったのかもしれません。 わが国の多くの小説家や文芸評論家は、石川淳を正当に...
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秋めく

この2、3日、すっかり秋めいてきました。 涼しくて過ごしやすいのは有難いですが、陽が短いのはやれませんねぇ。 陽が短いと、なんとなく気分も晴れません。 しかし、わが国においては四季それぞれの楽しみを味わうのが伝統というもの。 秋から冬にかけて、酒の味も上がるというものです。 うしと思ふ わが身は 秋にあらねども 萬につけて 物ぞかなしき 和泉式部の和歌です。 これなどまさしく、春愁秋思の秋思をそのまま詠んだというべきで、なんでだか分からない、秋の物思いを素直に詠んでいて、好感が持てます。 秋ふくは いかなる色の 風なれば 身にしむばかり 哀なるらん これも同じ歌人の手によるものです。 和泉式部という人は歌詠みの中でも特に技巧的で、巧すぎるのが難点とさえ言われますが、秋の歌には素朴な情趣が感じられます。 たのめなる 人はなけれど 秋の夜は 月みで寝べき 心ちこそせね これも和泉式部の歌。 こちらは、彼女らしく、秋を詠って技巧的です。 安心感がありますねぇ。和泉式部集 (岩波文庫 黄 17-2)和泉式部,清水 文雄岩波書店和泉式部日記 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)川村 裕...
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弁天小僧

近頃私は、仕事を終えて帰るなり、一杯やりながらユー・チューブで落語を楽しむのを常としています。 お気に入りは、今は亡き古今亭志ん朝師匠。 爽やかな江戸弁と、すっとこどっこいな感じ、それに色気がたまりません。 今日は珍しく、ユー・チューブで歌舞伎を鑑賞しました。 出し物は、「弁天娘女男白浪 」。  尾上菊五郎、中村吉右衛門、松本幸四郎などが出演する、豪華な演目です。 私はなにしろ当代の菊五郎が贔屓で、その姿、声、しゃべりを観ていると、うっとりしてしまいます。 さすがに今となっては老いてしまいましたが。 菊五郎は、声よし、姿よし、顔よし、で、難をつけるところが見当たりません。 強いて言えばたっぱが低いことですが、それとて江戸っ子らしくてよろしく思えます。 ウドの大木みたいな江戸っ子では、観ているほうが白けるというものです。 何度か、歌舞伎座や国立劇場で菊五郎の芝居を観ましたが、私はもういっちゃいそうです。 で、今日観た芝居は、さる大名のお嬢様に化けた菊五郎演じる弁天小僧が、仲間とともに呉服屋に騙りに入り、もう一歩で百両せしめようと言うところ、悪事が露見してしまうというシンプルなお話。 弁天...
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二百十日

今朝は台風一過の青空が広がっています。 空気も乾いて過ごしやすく、大分秋めいてきました。 今日はジャケットを羽織って出勤しました。 この夏、ついに職場に半袖を着用して出勤することはありませんでした。 節電要請が無かったため、冷房がよく効いていますので。 私の職場のエアコンは30年前のもので、細かい温度設定ができません。 弱・中・強だけです。 弱でもかなり冷えるので、半袖ではいられないというわけです。 最も、私以外は全員半袖ですが。 私が住まいする千葉市ではさしたる被害はありませんでしたが、京都の嵐山、ひどいことになっていましたねぇ。 多くの観光客が訪れていたでしょうから、生きた心地がしなかったものと推察します。 8月末に運用が開始された特別警報が、初めて発出されました。 数十年に一度、甚大な災害が予想される場合に出されるとのことですが、これはあんまり乱発しないほうが良いでしょうねぇ。 狼少年みたいになってはいけませんから。 こうして着実に季節は秋に向かっています。 二百十日と言いますが、本当にこの時季に台風が多いのですねぇ。 もっとも昨日は、二百十日より二週間ほど後ではありますが。 「...
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独り酒

ようやっと、今日の業を成し終えました。 なんだか疲れました。 この疲れを癒すのは何かと問われれば、そんなことは知れたこと。 わずかな酒であるに違いありません。 秋の夜、独り飲む酒は格別です。 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり   私が最も愛する大酒のみの歌人、若山牧水の歌です。 このブログで何度も紹介しました。 月花も なくて酒のむ 独り哉 花にうき世 我が酒白く 飯黒し いずれも松尾芭蕉の句です。 松尾芭蕉というと、求道的なイメージが強いですが、酒もやったんですねぇ。 酒が白いというのはどぶろくで、飯が黒いというのは玄米ということでしょうか?芭蕉全句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)雲英 末雄,佐藤 勝明角川学芸出版 川風や よい茶よい酒 よい月夜 単純な作りですが、明るい感じが悪くありません。 情趣には欠けますが。 芭蕉の弟子、室井其角の句です。其角俳句と江戸の春半藤 一利平凡社 酒と言うのは不思議なもので、全く受け付けない人もいれば、大酒を連日喰らってアルコール依存症になったり、肝臓を患ったりする人もいます。 私は医者から、今の酒量を続けていれば、...
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西洋風の詩的意匠

私はかねてより近代詩や現代詩が苦手で、敬して遠ざけてきました。 なんとなれば、近現代詩の多くは、西洋の手法を真似ながら、彼我の言語の成り立ちの違いゆえ、違和感を感じるからです。 一般に、わが国の詩がまがりなりにも日本語として定着したのは萩原朔太郎以降だと言われています。萩原朔太郎詩集 (新潮文庫)河上 徹太郎新潮社 しかし私の印象では、萩原朔太郎の詩群ですら、和歌や俳句に比べ、日本語として無理があるように感じられるのです。 そんな中、比較的好んでいるのは日夏耿之介の詩群でしょうか。日夏耿之介詩集 (1953年) (新潮文庫〈第557〉)日夏 耿之介新潮社 日夏耿之介は、西洋風の詩的意匠と、日本語、とりわけ雅語及び漢語による文語調との接木細工による奇怪な詩的世界を追求したという意味で、類まれな言語感覚を有していたと言って良いでしょう。 それはおそらく、上田敏の「海潮音」に連なる、象徴派の系譜に連なるのでしょうが、ことはそう簡単ではありません。海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)上田 敏新潮社 上田敏が日本語として小慣れた、七五調で西洋の詩を翻訳によって導入し、しかも日本人の感性に合うような...
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演説歌

わが国には、演歌と総称される歌謡曲の一分野が存在します。 しかしこの演歌というものほど、その定義が曖昧なものもありますまい。 元々は、明治時代、自由民権運動に励む人々が、一般庶民に分かりやすいように節をつけて歌った演説歌が始まりとされているようです。 その後、民謡などわが国古来の歌謡に合わせ、西洋音楽の7音階から第4音と第7音を外し、第5音と第6音をそれぞれ第4音と第5音にする五音音階を使用することから、ヨナ抜き音階と呼ばれる音階法を用いた歌謡曲が多く製作され、歌詞においては、悲恋や不倫を含めた男女の情愛、家族愛、職場での結びつきなど、広く人間の情愛を主にしたものが製作され、多くの日本人の心を捕らえました。 一方、淡谷のり子などは演歌を毛嫌いし、演歌撲滅運動などを繰り広げました。 演歌なるものが、古来からの日本人の歌謡の美意識から遠く離れていることは、少しでもわが国の古典文学を学んだ者には自明の理です。 したがって、アナウンサーなどが、「演歌は日本の心です」などと明らかに歴史的に誤った発言をすると、虫唾が走ります。 それは間違いです。 演歌なるものがなぜ現在の60代以上の人々の心をとら...
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月見草

今朝の千葉市は雨が降り、ずいぶん涼しかったですねぇ。 すぐに晴れて暑くなりましたが。 夕方からまた雨の予報が出ています。 なんだか夏と秋がせめぎ合っているようです。 そこで、若山牧水のこんな歌を。 青草の なかにまじりて 月見草 ひともと咲くを あはれみて摘む若山牧水歌集 (岩波文庫)伊藤 一彦岩波書店 月見草と言えば俳句では晩夏の季語とされいます。 ストレートに月見草を詠んだ句というと、高浜虚子の、 開くとき 蕋(シベ)の 淋しき 月見草   虚子五句集 (上) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店虚子五句集 (下) (岩波文庫)高浜 虚子岩波書店 蕋とは雄蕊、雌蕊の蕋です。 どちらも晩夏の寂しさを詠んでいるように感じられます。 それはおそらく、春愁秋思の、秋思の前触れともいうべき現象で、元々は白楽天の漢詩に見られる言葉ですが、大陸の人々は文化大革命などで、古い価値観や美意識を捨ててしまったようで、むしろ現代ではわが国に見られる独特の感覚になってしまったようですね。白楽天詩選 (上) (岩波文庫)川合 康三岩波書店白楽天詩選(下) (岩波文庫)川合 康三岩波書店 世の移ろいは不思議なもので...
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夏の物語

夏というと、わが国では怪談ということになっていますね。 エアコンも扇風機も無い時代、怖い話を聞けば寒気がして涼しくなるだろうとは、優雅と言うかまどろっこしいと言うか、今では考えられないことです。 冷房が普及した現代日本においても、夏になると歌舞伎や寄席などでは競って怪談をかけ、テレビでも怪談めいたドラマが放送されます。 昔のわが国の怪談は、「東海道四谷怪談」にしても「番長皿屋敷」にしても、恨みつらみというはっきりした動機がありました。東海道四谷怪談 (岩波文庫 黄 213-1)鶴屋 南北,河竹 繁俊岩波書店四谷怪談 長谷川一夫,中田康子,鶴見丈二,近藤美恵子角川エンタテインメント番町皿屋敷岡本 綺堂メーカー情報なし 近頃のホラーはもっと複雑多岐になり、ホラーの中でもゾンビ物、スプラッター、サイコサスペンス、怪物物、シチュエーションスリラー、POVなどなど、多くのジャンルに分かれるようになりました。 一方、夏の終わりを描いた小説には、どこかセンチメンタルと言うか、メランコリックと言うか、感傷的な雰囲気が漂うようです。 晩夏の物寂しい雰囲気と、夏休みが終わってしまうという子供時代の記憶があ...
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諦める

昨夜、世界陸上400メートルハードルの銅メダリスト、為末大の「諦める力」という書物を読みました。諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない為末 大プレジデント社 私はタレント本の類を読むことはないのですが、今回、タイトルに惹かれて読んでみました。 しかし中身は、諦めるということとはほど遠いように感じました。 要するに、本当は100メートル走でメダルを取りたかったが、100メートルは選手層が極めて厚く、しかも人種間の身体能力の差もあり、とてもメダリストにはなれないと考え、陸上競技のなかではマイナーで、選手層が薄い400メートルハードルに切り替えた経験をもとに、諦めるというのは成功または勝利をつかむための戦略だ、というのが主たる趣旨でした。 この本の冒頭でも少し触れられていましたが、諦めると言う言葉の語源は、明らめる、つまり物事の本質を調べて明らかにする、ということです。 さらに進んで、仏教では様々な物事の本質を明らかにすることによって得られる悟りの境地を指すこともあります。 それがどうして、夢や希望を追うことを中止する、という意味になったのかは、よく分かりません。 為末という人はま...
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立秋?

今日の首都圏は軒並み最高気温が35度前後の猛暑に見舞われています。 職場はエアコンが効いて快適ですし、通勤も車なのでエアコンにより涼しく、家に帰ってもエアコンを付けるので、夏の暑さを感じなくなっているようです。 そんな猛暑の今日、立秋なんだそうですね。 暦の上では秋。 石原慎太郎がたびたび主張しているように、旧暦の二十四節季を、そのまま西洋暦に移したのは失敗で、日本人が大切にしてきた季節感を二十四節季と合わせるためには、西洋暦に合わせて日を変えたほうが良いでしょうね。 ざっくり一ヶ月半ずれるので、今の9月下旬が立秋になり、それは季節感と一致するものと思われます。 公的な手紙を書く際、時候の挨拶が実際の体感と異なり、奇妙な感じがするのは私だけではありますまい。 秋風の うち吹きそむる 夕暮は そらに心ぞ わびしかりける                                                  (後撰和歌集)  秋風が吹きはじめる夕暮は、空を眺めてもぼんやり切なくなってくる、といったほどの意でしょうか。 初秋の風情を歌っていますが、今日のこの天気では、そんな気分には...
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