文学

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人同じからず

4連休あけ。 まるっきり仕事をしようという気になれません。 とりあえず今日中にやらなければいけないことだけを、下の者に指示してやらせることにしました。 私はチェックだけ。 しかしそのチェックですら億劫です。 多分それをやることを指示された若い職員も、今日はやる気がないでしょうから、厭でしょうね。 しかし、若いうちの苦労は買ってでもしろと言いますから、ここは教育だと思ってやらせるしかありますまい。 現に私自身、若いころはずいぶん実務をやらされました。 何事もそうですが、漢詩にあるように、年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、というのが、この世の倣い。 同じような花が毎年咲くけれども、去年と全く同じではないし、同じように学生がいたりサラリーマンがいたりするけれど、昨年の人ではない。 組織には若い人から中高年までいて、しかし、それは入れ替わっていきます。 定年を迎えて職場を去る人と同じ時期に新人も入ってきます。 いわゆる世代交代。 世代交代によって、わが国ではほぼ年功序列によって、出世する組織が多いようです。 私は若い頃、50歳にもなったらすっかり仕事に慣れ、神経も図々しくなって、怖いも...
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移住

昨日も今日も雨。 今週は大体雨の予報。 梅雨とはいえ、鬱陶しい天気が続きます。 樹も草も しづかにて梅雨 はじまりぬ 日野草城の俳句です。日野草城―俳句を変えた男復本 一郎角川学芸出版 梅雨といえば、静かな、しとしと雨の印象。 豪雨のイメージはありません。 梅雨といえば、梅雨寒。 暑がりの人、寒がりの人、色々で、着ている衣服の様子が多様なのもこの時期の特徴。 私は40くらいまではどちらかといえば暑がりだったのですが、なぜか40代後半から極端な寒がりになり、この時期、半袖を着ている人が多いなか、下は股引、上はジャケットが欠かせません。 若い頃は張り詰めたような空気を感じさせる冬を好んでいたのですが、今はダメです。 千葉ごときの冬でも、起毛した下着を着なければやれません。 よく年とともに嗜好が変わってくると言います。 それは私にも表れており、つい最近まで甘い物は一切受け付けなかったのが、少量ならおいしく感じられるようになりました。 それと同じで、気温に対する感じ方も変わってくるようです。 わが国は四季の変化がはっきりしていて、だからこそ手紙なら時候の挨拶、俳句なら季語と、季節を大切にしてき...
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すまじきもの

今日は15時から17時まで2時間だけ休暇を取りました。 なんだか嫌になっちゃったというか、忙中閑ありという感じで、急ぎの仕事が無いためか、勤労意欲益々減じ、ついには早退してしまったという次第。 逆に言えば、仕事嫌いの私でも、急ぎの仕事があれば自然とやる気が湧くわけで、骨の髄まで宮仕えの賎しい根性が身についてしまった感じがします。 すまじきものは宮仕え、という言葉があるとおり、役所や会社などの組織で働くのは、精神衛生上もよろしくありませんし、何よりも自分の意見が正しいと思っていても、職階が上の者の馬鹿げた意見に従わなければならないのがしんどいですねぇ。 職階が上だからと言って、正しい判断が下せるわけではありません。 まして自分の出世にばかり興味がある人というのは、自分の手柄は自分のもの、部下の手柄も自分のもの。 誠にバカバカしい世界です。 精神病を患ってから出世に興味が無くなった私から見ると、阿呆と馬鹿の集団が、この世を動かしているように思えます。 文語調で格調高く描かれた「戦艦大和ノ最期」において、海軍の若い将校たちが、敗色濃厚な祖国の現状を憂い、海軍を良くするためにはどうしたら良いか...
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ほとんどあり得ない、しかし在ったかもしれない初恋物語

私の職場に、韓国に5年間留学し、かの地で出会った女性と結婚した後輩がいます。 奥様は来日し、日本で二人のお子様と家族仲良く暮らしています。 後輩、結婚に際しては、差別を心配していたようです。 韓国に住めば日本人ゆえの差別を、日本に住めば韓国出身者ゆえの差別を。 それは今のところ杞憂に終わっているようで、まずは良かった。 個人と個人の間では友情なり愛情なりが成立しても、集団となると差別が横行するのが人の世というもの。 まったく人の世は厄介なものです。 大日本帝國が朝鮮半島を支配していた大正時代、朝鮮半島で生まれ育った日本人の少年と、現地、朝鮮人の少女の恋を描いた小説に、「カンナニ」という佳作があります。カンナニ―湯浅克衛植民地小説集湯浅 克衛インパクト出版会 カンナニというのは朝鮮人少女の名前。 朝鮮ではよくある平凡な名前です。 朝鮮人貴族の家に住む巡査の子が12歳の龍二。 同じ屋敷に門番の子として住むのが14歳のカンナニ。 幼馴染の二人は、自然と、幼い恋に落ちていきます。 しかし、少年と少女の恋というだけで不埒とされた時代にあって、支配する民族とされる民族という関係性が、二人の間柄を複...
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10分の距離

今日は義母がワクチンを打つ日。 千葉駅に隣接する駅ビルのエキナカクリニックという病院で接種しました。 足が悪い義母のため、車で送迎しました。 ワクチン接種が終わって、車で自宅へ戻り、住まいの前にある蕎麦屋へ義母を誘いました。 蕎麦は義母の好物。 天ざるをしっかり完食していました。 普段は食欲がないと言って、ろくに食わずに体重が37キロまで落ちているのですが、「おしゃべりしながらだと食べられる」という言葉には泣かされます。 一人での食事が侘びしいのでしょうね。 切ないですねぇ。 でも義母は、週末に外食に誘っても、なかなか乗ってきません。 悪いと思っているのでしょうか。   昼食が終わって、義母を車で送りました。 わずか10分程度の距離。 その10分が、私たち夫婦と義母を決定的に遠ざけているようです。 コロナ疲れということがよく言われます。 私もそんな感じです。 週末になると用もないのに都内へ出かけ、わけもなくふらつくことを楽しみにしていましたが、去年の10月4日以来自粛しています。 10月4日は、たしか緊急事態宣言が解除になっていた頃のように記憶しています。 ご近所散歩ばかりでは飽きるの...
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恋猫と語る女

今日はよく晴れました。 そうだというのに、コロナを恐れて外出しませんでした。 そんな土日が続いて、どれくらいになるでしょう。 散歩に出かける気にもなりません。 こんな日は、句集でも紐解いてみようと、どれが良いかなと書棚を見つめ、なんとなく、「西東三鬼全句集」を手に取りました。西東三鬼全句集 (角川ソフィア文庫)西東 三鬼KADOKAWA ぱらぱらめくっていると、 恋猫と 語る女は 憎むべし という句が目に飛び込んできました。 ペットの猫を可愛がっている女。 その人は目の前にいて、はるか遠くにいる、女はそういう方法で挑発する、といったところでしょうか。 俳句は短歌と比べて、恋の句はあまり無いような気がします。 自然を賛美するようなものが多いでしょうか。 西東三鬼は、男と女をまったく異なる種類の生き物ととらえていたようで、上の句が生まれたのでしょう。 男と女は肉体の構造が異なっている以上に、その精神性に違いがあるのかもしれません。 こんなことを書くと、おっかないジェンダー研究者の叱責が飛んできそうです。 不倫がばれて、その行為を異文化コミュニケーションと言い放ったのは、森本レオでしたか。 ...
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迷言

人をポジティブかネガティブかに分ければ、私は間違いなく後者でしょう。 大量の精神病薬を飲んでなんとかやり過ごしていますが、薬が無ければ、10年前のうつ病発症の時に退職しているか、悪くすれば自殺していたでしょう。 うつ病は自殺率が極めて高い病気ですから。 ほぼ完治した今も、その頃の思い癖みたいなものから抜け出すことが出来ず、考えは後退していくばかりです。 よく、名言集というものがあります。 大体において、明日は明るい日と書くだの、夢は諦めなければ叶うだの、大の大人から見れば人生の真実とは程遠い迷言のオンパレードです。 そのような言葉に触れてポジティブな思考に入れるのは、ごく若いうちだけだと思います。 なぜならそれらは、嘘だからです。 下のような言葉を読んだことがあります。 誰の言葉かは忘れましたが。 死んでいる者は幸せだ、これからも生きていく人間よりも。 死んでいる者より幸せなのは、生まれなかった者だ。 西洋の学者が残した言葉だったように覚えていますが、うろ覚えです。 太宰治の「人間失格」みたいですね。人間失格 (角川文庫)太宰 治KADOKAWA 多くの、自分は成功したとか、勝ち組だと...
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心の底をたたいてみると

今週も月曜日を迎え、辛い一週間が始まりました。 誰でもそうでしょうが、自己が認識する自分と、他者が認識する自分には、ずいぶんと差があるものです。 私もそうで、日ごろから仕事をとてつもない困難な事業と感じ、終始必死の思いで仕事に向かっているのですが、上司からは、よく「易々とこなしているように見える」と評されます。 それは私が精一杯虚勢を張って、格好をつけているだけの話で、仕事中、心の底は苦痛と悲しみで満ちています。のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする。 夏目漱石の名言です。 どんなに生き生きとして元気そうに見える人でも、心の奥底には、悲しさを隠しているということでしょうか。 悲しみが人間の本性だとしたら、人生は苦痛に満ちていることになります。 しかし誰でも、生きていてよかった、最高に幸せだ、と思うことが、一瞬にせよあると思います。 この一瞬を求めて、悲しい音を隠しながら生きているのが凡人というものではないでしょうか。  私もそんな凡人の一人です。 心の底はひた隠し、今日も虚勢を張って生きています。 そうしなければ、職場に行くということ自体が耐えられないのです...
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年寄り笑うな

連休明け、2日間の勤務が終わりました。 落ち込み感はそれほどでもなかったですが、勤労意欲の低下は想像以上でした。 わずか5日の休みでも、確実に衰えていく感じがします。 がっつり残業をしても疲れなかったのは、遠い昔。 今では1時間程度の残業でも疲れ果ててしまいます。 若いころ小馬鹿にしてきた、新しいことを覚えられず、何事も仕事は部下に振って、自分は何もしない、そんなおじさんに、私がなりつつあります。 人に起こるようなことは大抵自分にも起こるのですね。子ども叱るな来た道じゃ。年寄り笑うな行く道じゃ。 というのは作者不詳の詩。 一説に、妙好人(厚い信仰をもち、念仏に生きる人)によるものとも言います。 私は子供を叱ることはありませんでした。 そもそも子供が出来なかったので。 しかし、年寄り笑うなは、つい最近まで守れずにいたのですが、今度は笑われるほうになってしまうとは。 一念発起して、何事も部下任せにせず、ある程度は自分でやるようにしないと、ますます勤労意欲は失せて、使い物にならなくなってしまうでしょうねぇ。 一昔前と違って、60歳で定年は迎えるものの、希望すれば65歳まで雇わなければならない...
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時間を超越すること、あるいは恋愛譚

私が住むマンションの真ん前に、蕎麦屋とイタリア料理店があります。 休日の昼は、どちらかで食べています。 で、近頃気づいたことですが、コロナが流行して以来、イタリア料理店は明らかに客が減り、今や閑古鳥となり、その営業は風前の灯火と思われるのにたいして、蕎麦屋は今も以前と変わらず、繁盛しています。 これは不思議な現象です。 どちらも安価で美味なのですから。 世の中、不思議な現象に満ちています。 初めて会うのに、昔から、いや前世からの知り合いのごとく、初めて会った気がせず、最初から親近感を覚える、あの現象も、考えてみれば不思議な話です。 これは、大抵の場合、男女の浪漫的な恋愛譚に現れるものです。 女は待ち続けていた男に出会ったと喜び、男は探し求めていた女に出会った、と言うような。 恋愛というのは脳が一部馬鹿になった状態でしょうから、恋愛感情によって破壊された脳が、初めての相手なのに既視感を覚えさせ、それを運命的出会いと呼び、二人は恋に落ちていくというわけです。 しかし多くの場合、その感情は長続きせず、別れてしまうか、別れるのも面倒くさいから惰性で一緒にいるか、どちらかにならざるを得ません。 ...
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かくれ家

今日、千葉市はひどい南風が吹き荒れて、お昼に近所の蕎麦屋に行っただけで、終始、家に籠っていました。 大雨だとか、雪だとかで籠り居するのは、どこか気持ちが良いものです。埋火や 我がかくれ家も 雪の中という与謝蕪村の浪漫的な俳句を思い出させるような、心地よさを感じます。蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)与謝 蕪村角川学芸出版 しかし、ピーカンに晴れているのに、家に籠らなければならないというのは、なんとも無粋な感じがします。 晴耕雨読とか申しますが、こう風が強くては、畑を耕すこともままならないでしょう。 私はただ、煌めくお日様を眺めては、南風を呪うばかりです。
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何でもないこと

生憎の雨となってしまいましたが、それでも平日と比べて、格段に気持ちが落ち着きます。 休日と平日の落差が大きすぎて、生きているのは休みの日だけで、働いている日は死んでいるか、死んでいないにしても、ひたすら芝居を続けているように感じます。 もしかしたら働くということは、収入を得るために必要だという以外に、休みの日のうれしさを倍加させるためにあるのかもしれません。 今日も朝風呂につかったり、朝寝を楽しんだりしました。 昼はイタリアンのコースで、ワインも少し嗜みました。 そんななんでもないことが、とてつもなく幸せに感じます。 これから精神科に行って薬をもらい、その後は晩酌です。 真鯛の刺身となめろう、それにブロッコリーとフルーツトマトをいただく予定です。 これもじつは何でもないこと。 ただ平日と異なっているというだけです。 休日と休日の間にある平日、じつは休日が夢のような生活なのではなくて、平日こそが夢の中なのかもしれませんね。
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10年の後

今日はわずかに春を感じさせる陽気に恵まれました。 私はそれを寿いで、独り、分けもなく近所を歩き回りました。 これも休日の贅沢と言うべきでしょう。 散歩は頭を冴えさせる効能があるようで、気持ちの良いものです。 しかし、苦い散歩もありました。 もう10年以上前のことになりますが、私はうつ病を患い、自宅療養を余儀なくされていました。 精神科医に散歩を勧められ、根が真面目な私のこととて、嫌々ながら毎日1万歩、歩きまわりました。 その時の精神状態は、散歩を楽しいと感じさせるような、呑気なものではありませんでした。  とはいえ、私は約8か月の療養を経て、見事に復活を遂げました。 あれから10年。 ちょうど、冬から春に向かう頃、リワークプログラムで、同じ病から脱しつつある人々と出会い、私は完治できると、心強く思うようになったことを、懐かしく思い出します。 今も、時折、それら同病人と酒を酌み交すことがあります。 10年、感慨深いものがあります。 あの頃は、人と会うのも億劫で、見舞の客にも無礼を働きました。 梅いけて 礼者ことわる 病かな 正岡子規の句です。 正岡子規は35歳の若さで亡くなっていますが、...
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妻は元気で

今日は同居人が日曜出勤のため、独りで過ごさなければなりません。 よく、奥さんが留守だと嬉しい、という人がいますが、私には理解できません。 休みの日は、同居人と散歩をしたり、昼酒を呑んだりすることを常としていますから。 一人でいると、碌なことを考えません。 今、年度末祭りでめちゃくちゃいそがしく、忙しさに弱い私にはしんどくて仕方ありません。 30代半ばくらいまでえは、徹夜仕事も厭いませんでした。  それが今では、夕方になると目は霞むし、何より疲れちゃって、残業に耐えられません。  鋼の肉体が欲しいものです。  あるいは、専業主婦をやってみたいと思ってしまいます。  幸い、同居人はフルタイムで働く正規雇用です。  彼女の扶養に入りたい、思いながら、同居人には言いだせずにいます。  ああ、いっそこの世からおさらばしたい。
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夕空

昨日は月に一度の精神科の診察に行ってきました。 ひどく落ち込むことは少なくなったが、依然として不安や緊張が強いと訴えたら、セロクエルが100mから150mに増量になりました。 コロナが流行りだしてからリモートによる会議が主流になり、そのことがストレスになっています。 実際に会って話し合うよりも、過激になるような気がしてなりません。 対面で話し合うことの重要性を感じます。 リモートにしろメールにしろ、便利な道具であることは間違いありません。 しかし、そのせいで、家に帰っても仕事が追いかけてくるような気がしてなりません。 それは当たり前です。 在宅で仕事をしようというわけですから。 休みの日は職場のアドレスメールは開かないことにしています。 仕事熱心と言おうか、休日でも仕事のメールを送り付けてくる輩が少なくありません。 そういうのは無視するに限ります。 人とや社会とのつながりは重要なのでしょうが、独り、遁世したいという欲求を覚えます。 たった一人になり切って夕空 自由律の俳人、尾崎放哉の句です。尾崎放哉全句集 (ちくま文庫)尾崎 放哉筑摩書房 この俳人、東京帝国大学法学部を卒業して大手生命...
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