2011-06

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思想・学問

ふるさと

今日は本格的な真夏日。 日差しも強く、今夏初めて職場の冷房運転がなされました。 冷房とは夏の過ごし方を変えた偉大な発明ですね。 今夏は震災の影響で、各地の花火大会が中止されています。 私のふるさとで行われる江戸川区花火大会も中止です。 15年ほど前まではあまり知られておらす、のんびりとした雰囲気の中行われていた江戸川花火大会ですが、ここ数年は、見学場所と打ち上げ場所が近く、迫力があるということで、当日は都営新宿線篠崎駅周辺が、渋谷か池袋のような人ごみになります。 そうなってから、人ごみが苦手な私は江戸川花火大会に行くことをやめました。 ちなみに江戸川の対岸の市川市は、江戸川花火大会を勝手に鑑賞するどころか、市川市花火大会と呼ぶ無礼者です。 ふるさとは 遠きにありて思ふもの と詠んだのは室生犀星でしたか。 坂口安吾はふるさとの護国神社に、 ふるさとは 語ることなし という詩碑を残しました。 それぞれに短い言葉で、ふるさとを歌っています。 過酷な境遇であっても、幼い頃を過ごし、遊んだり学んだりした地には、愛着を持って当然でしょう。 例えば私は、何よりも誰よりも、私と、私にまつわるものを愛し...
社会・政治

ポストがない

いつでしたか、仙谷官房長官(当時)が、公務員制度改革に関連して、経済産業省のキャリア官僚に、国会の場で「彼の将来に傷がつく」と恫喝ともとれる発言をしたことがありました。 厭らしいことを言うやつだなあと思いましたが、そのキャリア官僚が、このたび事務次官から、「君にふさわしいポストはない」と、自主的な退職を求めたそうです。 キャリア官僚はこれを拒絶しましたが、同時に就職先を探してもいるそうです。 経済産業省のキャリア官僚なら、大学教授や民間の研究所など、就職先はたくさんあるでしょう。 しかしそれは、民主党だか経済産業省だかが妨害しなければ、の話。 これまでの経緯を見ると、すんなり就職先が見つかるとも思えません。 この人はとくに仕事を与えられず、視察目的で四六時中出張させられ、出張しては中身のない出張報告書を書く日々が続いていたとか。 露骨な嫌がらせですね。 しかしそれでも自主退職しないため、ついに事務次官直々に引導を渡しにきたというわけです。 組織で働いていて一番気持ち悪いのが、この手の話ですねぇ。 べつに賄賂をもらったわけでもなく、真面目に与えられた職務をこなしていたら、時の政権を困らせ...
文学

芙美子忌

今日は林芙美子の命日だそうですね。 林芙美子といえば、戦前の流行作家にして、森光子主演の舞台で有名な「放浪記」の作者。 流行作家らしく多作で、どんな注文にも応え、作家としての地位に執着し、有望な新人の目を摘むようなことまでしておのれの作家生命を長らえようとしたことが、川端康成らによって伝えられています。 べつに田舎生まれの田舎育ちを差別する気はありませんが、田舎者じみたあまりのバイタリティというか生命力には、正直げんなりします。 都会人的なはじらいというのは、田舎に生まれ育っても身に着く人はいるし、逆に都会で成長しても、厭らしいほどパワフルな人というのもいます。 田舎っぽいか都会的かというのは便宜的な言葉で、実際の生まれ育ちを表すものではありません。 その前提の上で、私は林芙美子と言う人は、田舎者作家の女王だと思っています。 なんでも突き詰めるのは大変なことで、この人の前にも後にも、私をこれほどいらつかせる小説家は珍しいように思います。 そういう意味では真に偉大な作家なのでしょう。放浪記 (新潮文庫)林 芙美子新潮社浮雲 (新潮文庫)林 芙美子新潮社 ↓の評価ボタンを押してランキングを...
思想・学問

日本の歴史や文化を研究するのが私の職場の使命で、常時何人もの外国人研究者が滞在しています。 その中で、スイス人の輪島塗研究者から、面白い話を聞きました。 私が、「欧米の方は家でも靴を履いているから、水虫が多いだろう」と意地悪な質問をしたところ、彼は猛然と反論しました。 玄関に靴を脱ぐスペースはないが、圧倒的多数の欧米人は家のなかで靴を脱いでいる、というのです。 そのほうが清潔だし、気持ち良いから、と。 ただ、靴を脱ぐ傾向は若者ほど多く、年配者には少ないとか。 もしかしたらわが国の影響かもしれませんね。 床に直座りすることも多いそうです。 家に友達が何人も来れば、全員ソファーには座れないから、と。 また、ちょうど日本で愛車を土足厳禁にするように、ドアの外に靴箱を置いて、家の中には靴を入れない、という徹底した者もいるそうです。 今度は、なんで欧米人は体を洗う浴槽のすぐ隣に便器を設置するのだ?と聞いてみたいと思います。 便所はご不浄とも言う汚い場所。 風呂は体を洗って気持ちも生き返る清浄な場所。 それがすぐ隣り合っているのはいかにも気分が悪いというものです。 第一、風呂に入っているときに、家...
文学

永久未完

宮沢賢治の童話は、子どもの頃誰でも一度は読んだことがあるのではないでしょうか。 私はあまり好みませんでしたが。 宮沢賢治は発表した後の作品でも、何度もしつこく加筆訂正を加え、後に全集を編む時、担当者は非常に苦労したそうです。 そのことから、彼は物語に終わりはない、という特異な見方をしていたのではないかと言われています。 発表された物語もすべて未完で、どういう変容を遂げるか誰にもわからないというのは、なんとも思わせぶりで、読者は困っちゃいますね。 よくひどい出来事が有った時、米国映画などで「それでも人生は続く」と諭されるシーンがありますね。 自分が死なないかぎり、両手両足を切断して達磨さんみたいになっても、人生は続くんですよねぇ。 寺島しのぶの「キャタピラー」なんて、まさしくそれでした。 しかし発表した物語というのは、言わば作者にとってはもう死んだものなのですよねぇ。 完成、といって出版社に送ったのなら、それはもう公のもの、作者が勝手にいじってよいはずがありません。 砂浜に自分が作った砂粒を落とす、というのが、物語を作るときの実感ですかねぇ。 多分宮沢賢治は、あまたの砂粒にまぎれ、どれが...
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